西海通信 立教168年6月号 |
【仕上げの年に相応しい活動の推進】
という活動方針のもと「感謝、喜び、ひのきしん」をテーマに今年もこどもおぢばがえりが始まります。
いうまでもなく只今は、教祖百二十年祭活動の仕上げの年であります。活動方針の中にも掲げられてありますように、少年会と致しましても、その全教の動きに沿った活動を展開していかねばなりません。
本年の年頭幹部会で真柱様は『年祭の意味は幼い子にはよく分からないかも知れません。しかし、つとめている側の雰囲気なり、緊張感というものは伝わるのではないかと思うのであります。そうした気持ちが起こるようなつとめ方をしなければならない。』とお諭し下さいました。教祖年祭の元一日を思い返し、少年会、鼓笛の御用を通して、少年会の活動とは、つとめの完成への最初の第一歩ではないかと感じさせて頂きます。
現在にいたりましても、少子高齢化社会、又、乳幼児虐待、不登校、いじめといった事件が後を絶ちません。マスメディアは、今の社会環境や状況が育つ方も育てる方も難しい状態を招いていると憂いているように見えます。
一昔前を考えてみると、環境的にも、経済的にも困難な中、出産・子育てはある意味当然のことであり、もったいないと思う心、又感謝する心といったものが、日常生活の中に自然とあったのではないかと思わせて頂きます。どんなに社会環境や設備が充実しても育つこと、育てることの難しさは変わらないのではないでしょうか。
先月開催致しました【縦の伝道講習会】で飯田文昭先生は「今はあまりに理詰めでものを考え、成績の良し悪しだけがまるで人生を左右してしまうが如く考えてしまうのは、明らかに物を作る思想に属した考え方である。人を育てるのは、相手に命があって、いつもa´A¨ころころa´≠ニ動く心というものがあって、一定の枠にはめて作り上げるという訳にはいかない」とお話し下さいました。おさしづに、『もう道というは、小さい時から心うつさにゃならん。そこえそこえ年取れてからどうもならん。世上へ心うつし世上からどう渡りたら、この道付き難い』(M33・11・16)とお諭し下さいます。子ども達に対して、日常的な何でもないようなことでも、自然と感謝と喜びが見出せるよう教えていくこと、それには、育てさせて頂くものが、日々その心作りをさせて頂き、習慣化することが大切だと思います。
こどもおぢばがえりは、そしておぢばは、自然な形でしかも当たり前のように教えを学び実行できるところであり、そのように丹精させて頂くところではないでしょうか。
子ども達の年祭活動『一人の少年会員が一人の友達を誘って』を合言葉に、一人でも多くの子ども達が友達を誘っておぢばへ帰り、年祭活動に相応しいこどもおぢばがえりとなるよう、更にはその勢いを百二十年祭へ繋げていけるよう、御尽力の程、宜しくお願い致します。