西海通信 立教174年10月号 |
☆ 「東日本大震災」により被災されました方々、
☆ またそのご家族の方々に深くお見舞いを申し上げます。
☆ 被災地の一日も早い復旧復興を、心よりお祈り申し上げます。
布教部長 永嶌洋三郎
秋季大祭を迎える今月、この道を通るお互いは、立教の元一日、立教に込められた親神様・教祖の思いを今一度思い返さなければなりません。
立教のその日。ない人間ない世界をおつくり下された元の神、実の神である親神様が、世界一れつをたすけるために天下り、教祖・中山みき様を月日のやしろに定められた日、天理教が始まった日であります。百七十四年前のこの日を記念してつとめられる祭典が秋季大祭であり「立教の元一日を忘れない・胸に強く刻み込む」が、秋季大祭をつとめる意義であります。私たちはこの立教の元一日の意義をしっかりと見据え、改めて元をたずね、先輩や親々の信仰に感謝し、今の結構な姿に対して御恩報じにつとめなければなりません。
立教の本旨は、神と人間との神人和楽、陽気ぐらしであります。陽気ぐらしこそが人間生活の目標であるとお聞かせ頂きます。しかしながら今の世上には、終結を見ない紛争や悲惨な事件事故。また自らが招いたと呼べる原発による放射能の恐怖が満ち満ちています。災害や人災によって失われた街並みや飢えに苦しむ人々を目の当たりにした時、陽気ぐらしの世の中が遥か遠くに思えてなりません。一人の人間がどれほど努力したところで世界がどう変わるものでもない、という考えもあるでしょう。この点から考えますと、陽気ぐらし世界を達成することはまったく不可能なことのように思えます。
しかし、理想が完遂されたときだけが、陽気ぐらし世界なのでしょうか。それまでは常に苦渋の中に暮らさなければならないのでしょうか。
世界平和という理想を大海にたとえたならば、私たち一人ひとりのつとめは、荒れ果てた大地に注ぐ一滴の水かもしれません。しかし、大地に落ちた一滴の水は、間違いなく一滴分の潤いを与えます。この水滴が集まれば、渇き切った荒野に草々が芽生え、森林が広がり、多くの生命を育むに違いありません。染み込んだ一滴は地下水となり、生きとし生けるもの達の生命をつなぎます。一滴の水がそれぞれの働きをし、黙々とその使命を果たし、いずれ大河となって大海原にたどり着きます。私達のつとめは一滴の水なのです。
西海につながる私たちは今、大教会創立百二十周年という一つの塚に歩みを進めました。足を前に出さず、歩くことをやめてしまえば、目的地に達することはできません。そして、私達にはありがたくもこの旬に追い風が吹いています。日々拝読する「八つのほこり」と「十全の守護」を心に治め、身に実行し、それぞれの持ち場立場を活かしながら、確実に歩みを陽気ぐらし世界へと進めることが、一つの塚である大教会創立百二十周年へも繋がるつとめになると信じます。
創立百二十周年への歩み出しの本年、来月の別席団参に向けて、一滴の水である全ようぼくが一手一つに神一条の精神で、それぞれの土地処で自分にしかできない働きをし、にをいがけ・おたすけに臨む姿に神が働くところにのみ、陽気ぐらしという大海が見えてくると信じてやみません。
●平均年齢65才がゆく 〜復興ひのきしんin宮城県仙台市 part2〜
8月23日より25日にかけ、第六次隊として、東京隊3名を含む19名が被災地に赴き、復興ひのきしんに汗を流しました。大教会より被災地へ向かった役員諸氏の平均年齢はなんと65歳! 片道約1,500キロの道のりを全て陸送し、疲れた身体に鞭打って作業に励むさまには、宮城教区の皆様もその行動力に大層驚かれたようです。
本稿では、復興ひのきしんの参加者の現地で感じた生の声を掲載いたします。
◎花田友輝
八月二十三日午前五時定刻、大教会長様御夫妻、住込みの方に見送られ第六次ひのきしん隊役員十一名特別参加五名はマイクロバスとワゴン車に分乗し目的地の西海仙栄分教会へ小雨の中出発。一四五〇キロの道のり、道中激しく降る雨、視界の悪い中でも平均年齢六十五歳、男子九名、女子七名は気力充分を確認の上勇んで現地へ向かう。早朝より準備された百三十個のおにぎりと玉子焼きなど活力源の副食を走行しながら頂く。休憩はトイレ休憩のみ。第一回の休憩は下松PA、朝食のおにぎりを頂き乍ら車は走り始める。運転は各車輌共三名ずつ、二百a´`から三百a´`の二回を目安として順序良く快適に走る。滋賀県大津PAで十二時を回り二回目のトイレ休憩。昼食のおにぎりを口に入れながら目的地へ走り続ける。新潟米山SAで十七時三十分、車の走行距離は一一二八a´`を指す。到着予定時間は十一時三十分とナビは表示。運転する者に気合がみなぎる。あと三百a´`だ。頑張ろう細かい心配りの気配りの花田友輝隊長の心一つに順調に進んでいるのが伝わる。新潟廻りの北陸自動車道から磐越自動車道へ、ここからは対面通行の高速道路。のろい車が前を走ると時間はかかる。夕暮れ時、雨は降り続けても先導車のマイクロバスはスピードを落とさない。間違いなく糸島の会長だろう。後続の年輩組も名の通る安全暴走族達、これに負けじとライトをつけて後に続く。原発で知られる福島県へ入る。磐梯山SA(おぢばへ向かう時年輩の役員さんがトイレにバックを忘れたところ)午後八時トイレの為立寄る。郡山ジャンクションから東北自動車道、最終の宮城県、仙台南部道路、仙台南IC、時間は二十一時三十分で一般道へ、目的地西海仙栄分教会、午後十時ジャスト一分と狂いなく到着。「神様だ」と誰かが叫ぶ。福岡県から始まって一気に十四県目の宮城県八ヶ所の高速道路を経る。一四四六a´`、十七時間無事に走破できた。地面に降りたが神経はまだ走り続けているが、誰も疲れた顔は見せない。生き生きとしている"年寄りの疲れは後から出る"と声がかかる。西海仙栄の皆さんに迎えられ、神殿でお礼参拝、続いて宮城教務支庁の宿舎に到着。二十四日、日程通り被災地でのひのきしんの日、天気は上々、長靴に麦わら帽子にマスク。十メートル津波海岸から約八百メートル離れた地域、仙台市若林区荒井地区、津波一、六メートル田畑、松の木の大木やトラック、乗用車など点在する地区。五、六十人ぐらいのボランティアの人達と合流、東京組、香分の会長と二人の息子三名も合流。係りの挨拶と仕事割が行われ、三,三,五,五、と分かれ、ヘドロや悪臭放つ現場で報恩感謝のひのきしんに汗を流す。親神様に日頃からの御守護に心から御礼申し上げる事が出来た貴重な体験と喜びはこれからの布教活動に生かされる事と思います。
◎鍋山不二子
以前から被災された方々のお手伝いをさせて頂ければと思っておりましたが、体力的なことや、日程的なこともあり、諦めかけていたのですが、今回ありがたくも花田友輝先生からお声掛け頂き、嬉しいやらありがたいやらで行かせて頂くことにいたしました。
現地までの道程は長く、移動や作業の疲労を考えると不安もありましたが、結果的に、終始元気に日程をこなすことが出来ました。これも親神様、教祖に結構にお連れ通り頂いたお陰、そして大教会長様、奥様をはじめ大教会の方々が理づくりのお陰を思うと、思わず涙がこぼれ、心の中で手を合わせました。
畑のがれき撤去をしていた時のことです。衣装ひもを取り出そうとたぐり寄せるのですが、なかなかとれません。皆で力を合わせやっとの思いでとりましたが、それは予想以上に丈夫な紐でした。生活の中で使われていた衣装ひもも、津波でがれきと共に土の中に埋まりましたが、切れることはありませんでした。私はそのまっすぐに張った姿から、切らずに繋ぐことの大切さ、まっすぐに繋がることの大切さを思いました。これからも女性の役割であるつなぎの心を心掛けたいと思います。
今回の震災に、真柱様は「互い立て合いたすけ合い」を強調されました。その実践として大教会長様、奥様は自ら現地に赴きひのきしんをされています。私もまたそれに続くことが出来てよかったなと思いました。機会がありましたら、また行かせて頂こうと思います。
◎花田浩之
八月二十三日(火)午前五時、夜明けを待たず大教会長様奥様、末永役員他住み込みさん方のお見送りを頂き、マイクロバス(運転:楢橋弘毅、鍋山栄一郎、佐藤健一郎)とワゴン車エルグランド(運転:花田友輝、永嶌洋三郎、塚本政人)で予定通り出発。車中で大教会住込さん達が深夜より準備して下さったおにぎり等を頂く。「美味い!」勇み心にも拍車がかかる。七回、合計二時間三十分の休憩時間を入れ、予定通り十七時間後に西海仙栄分教会に無事到着。一分と違わない到着時間には感動した。参拝後、宿舎の宮城教務支庁へ。
八月二十四日(水)心配された雨も無く、ひのきしんにはありがたいことだ。ひのきしん現場は仙台市若林区荒井字笹屋敷地区。キリスト教の方々が常時世話取りされ、西海仙栄の佐藤健一郎会長さんが、天理教のパイプ役をして下さっている地域である。参加者は、本教からは二十名、キリスト教関係者三十名余り。ひのきしんの内容は、若い人は、側溝の泥上げ、年配者ご婦人方は畑の片付け、草刈、除草、屋内清掃。
私は、冨安修三、花田興道、塚本政人、鍋山不二子、鍋山恭子、花田登美代、黒岩幸子、永嶌靖子諸氏と共に畑の片づけひのきしんをさせて頂いた。畑の地主さんがもう一度畑を作りたいとの要望に応えて、直ぐには土に還らない物(瓦礫、木切れ、ビニールなど)を取り除く作業である。何と其の畑には、大型トラックとワゴン車が横倒しになった状態のまま置いてあり、防風林の大きな松の木が根こそぎ何本も流されて来ていた。近くには大型の農機具が十数台無残な姿を残していた。「一寸これ手伝って」の声に、皆が駆け寄り、一手一つに次々と作業をして行く私達の姿に、現場責任者の青山学院の学生さん(クリスチャン)もビックリの様子。休憩時間には一緒に片付けをしていた甲府の若い牧師さん夫婦との会話も弾んだ。信仰を通し、時間を割き、被災地の方々に少しでも喜んで貰いたい、何かの役に立ちたいと願う毎日の小さな働き、「偉いな」と思わず言葉が出た。
終礼時には、キリスト教の代表者、天理教の代表者(花田友輝役員)の挨拶があり、宗派を超えて小さなたすけ合いの輪を、世界の人達に伝え広めて行こうとの思いが伝わってきた。勿論、陽気ぐらし世界を目指してである。
宿舎に戻る道中、西海仙栄の会長さんが、荒浜地区(四階建ての荒浜小学校が原形を留めていた他は、全域基礎のコンクリートだけの無惨な姿。六百世帯五百人亡くなる)と蒲生地区(建物は残っているが、誰も住んでない地区)を案内して下さった。津波の中、たすけを求める人達の姿を想像しただけで、胸が苦しくなり、目頭が熱くなった。神様の懐住まいをさせて頂き、陽気ぐらしを教えて頂いているお互いである。この事を世上に、伝え広める事を心に定め、生きたくても生きられなかった人達の分までも、しっかり神様の御用をさせて頂かねばと自分に言い聞かせた。
八月二十五日(木)復路、宮城教務支庁を、早朝四時三十分出発。往路同様マイクロバス十二人(運転三人)ワゴン車四人(運転花田浩之含四人)皆元気に出発。来た時の高速を戻る。私も名神高速の八日市で降り、日野町、甲賀市、名阪国道25号線を経て十五時三十分無事におぢば到着、被災地の一日も早い復興を祈念しつつお礼づとめを終え、西海詰所十六時十分大教会長様他大勢の方々のお迎えを頂き、全員元気に帰らせて頂いた。
今回、被災地ひのきしんに参加し、貴重な体験をさせて頂き、本当に有難うございました。又、機会があれば是非行かせて頂きたいと思います。
二泊三日の行程を見事なまでに一手一つに、予定通り無事にお連れ通り頂き、全員元気に帰らせて頂けた事は、親神様のご守護、教祖のお導きは申すまでもなく、大教会長様の大き親心のお陰と思います。有難うございました。
◎永田ひろみ
テレビでは見ていましたが、実際に行ってみると本当に大変な状況で、思わず地域のたすかりを祈念いたしました。
現地のひのきしんでは、キリスト教の方と一緒に住宅の玄関と畑の草取りをさせて頂きました。その家は子供の自転車が流れ着いたまま放置されていて、誰も住んでいないと思われます。心の中で「皆さん元気でいて下さい」と祈りながら、早くこの家の戻ってきて下さることを願いながら、草取りをさせて頂きました。前日の雨で草も気持ち良く抜け、お陰様できれいになりました。
作業の後に海岸に行きました。異様な静けさ、お花がお供えしている所に参拝しました。いつもなら夏休みの子供達が声を響き渡らせているはずなのに、一日も早く賑わいが戻ってきますように、おとりなしをお願いしました。
あたりまえと思っていた事が実はものすごくありがたいこととあらためて思いましたし、まだまだ思し召しを悟り切れない私ですが、百二十周年に向かって一層心を引き締めて親神様、教祖の御心におすがりしてにをいがけ、おたすけにつとめさせて頂きたいと思いました。また機会がありましたら行かせて頂きたいです。
最後になりましたが、大教会長様奥様にも朝早くからお見送り下さり、ご心配をおかけしましたこと、皆様のお陰で無事つとめさせて頂きましたことをお礼申し上げます。ありがとうございました。
(年齢順にて掲載します)
●別席団参に向けて (5)
布教部では11月の別席団参に一人でも多くの別席者を御守護頂こうと会報に記事を毎月掲載致します。是非、お互いの信仰心を奮い立たせ、勇み心をもって、にをいがけ・おたすけに励げみましょう。
◎〜天に貯金を〜 布教部長 永嶌洋三郎
青年時代のことですが、前大教会長様に悩みごとを御相談にお伺いしたことがありました。会長様は終始「うん、うん」そして合間に「そうー、うーん」と頷きながら聞いて下さり、話が終ると「そうかー、洋ちゃんの話はよく分かった。大変だが努力する価値はすごくあるな。辛かろうけど頑張らにゃぁ」と。状況は変わっていませんでしたが、私の肩の荷は下り、代わりに会長様が背負って下さった様に感じました。
捻じれた難しい球は打ち難いものです。人間にも捻くれた難しい人が居ます。そんな人を見て「気に入らぬ人だ、合わせられない」と云ったら見逃し三振、その人に合せ、ヒットにするのが名バッターです。おたすけの中で、何としてでもこの人ににをいをかけなければと思う時、しっかりとした切れ味鋭い話をするより、相手の思い描いている事に、こちらの思いをどう当てはめ、伝えるかが大切だと、いつも自分に云い聞かせています。
浅い経験からではありますが、苦しんでいる人、悩んでいる人に対峙する時、その人の全てを受け入れる事はとても大切だと思います。それは心からの笑顔と「うん、うん」と頷いてあげることではないかと思います。良いとか悪いとか、または批判する気持ちを持たず、聞く事だと思うのです。
冒頭で述べた会長様は強い共感力で、私の全てを受け入れて下さり、絆を作って下さいました。共感力を育み、絆を強くする事の大切さを身をもって教えて下さいました。
これより3年後に迎える大教会百二十周年のスローガンは『感謝と報恩』であります。その実践の一つが11月の別席団参だと思います。「西海に繋がる全ようぼくが布教師」との声に、どれ程共感して思いに添った働きを致すか、将来に向け、自らに期待感を大きく持って歩むかが互いの持つ可能性を大きく広げる事になるのであります。
ただ唱えるだけで済ます事のない様、心掛けて一名称2名以上御守護頂けますよう親の声に感動、共感し、共に苦心苦労させて頂きましょう。
●『余談ですけど…』其の六拾弐
▼私は自分でもせっかちだと思う。過去にそのことで失敗したことが沢山ある。だから最近まで「果報は寝て待て」を座右の銘にしていた。「焦るな」と自分自身への訓戒にしていた
▼「果報は寝て待て」を辞書で引くと「幸福の訪れは人間の力ではどうすることもできないから、焦らずに時機を待て」と書いてある
▼三十過ぎ独身。現実ではあるのだが、そのことがじわじわと迫ってくる。思わずことわざを盾にした。一生を左右することだと思うので、ことわざ通り寝て待った。結果は何も変わらなかった。やっとこさ気づいたことなのだが、努力を重ねて、人事を尽くさなければ、果報は得られないということだ
▼機会は与えられるものではなく、自分で見出すもの。ニュートンは落ちるリンゴを見て、万有引力の法則を発見した。誰が気づいてもおかしくないのに、発見したのはニュートンだ。見る角度や視点で新たな発見を生むのである。ひらめきや気づきはいつも目の前に広がっている。チャンスに気づくか気づかないか、天と地の差だ。もたもたせず、落ちるリンゴを受け止めるように(お嫁さんのご縁も)逃さんぞ〜
▼日頃「時旬」という言葉をよく聞かせて頂く。先月は全分会布教推進週間、また全教一斉にをいがけデーの旬だった。今月は秋季大祭、青年会総会の旬。そして来月は別席団参の旬である。特におたすけはもたもたしていては駄目だ。旬を逃さず、すぐに動くことが大切だ
▼ちなみに私の現在の座右の銘は「蒔かぬ種は生えぬ」だ。しっかりと伏せ込み、よい種を蒔こうっと。