西海通信 立教175年2月号



☆ 「東日本大震災」により被災されました方々、
☆ またそのご家族の方々に深くお見舞いを申し上げます。
☆ 被災地の一日も早い復旧復興を、心よりお祈り申し上げます。



●「成る程と思う日」 〜『つとめ』と『さづけ』の実動〜

役員  阿部憲孝


 天保九年十月二十六日までの三日間、親神様と人間の問答の中で「誰が来ても神は退かぬ。今は種々と心配するは無理でないけれど、二十年三十年経ったなれば、皆の者成る程と思う日が来る程に。」と稿本天理教教祖伝に記されています。
 「成る程と思う日」とは、私心で思案するならば、物心共に豊かになる日を想像するのですが、果たして二十年三十年経ったお屋敷のご様子はどうであったのでしょう。
 嘉永六年、立教より十六年が経った時、夫・善兵衛様がお出直しになり、更には母屋も人手に渡っていきます。その様な節の中、こかん様他数名が教祖のご命により、浪速の地に神名を流されます。
 嘉永七年には、おはる様のお産を通して「おびや許し」が道明けとなり不思議なたすけが現われつつも、これより十年間の中山家の生活はなお厳しく「お母さんもうお米がありません」と言われたのもこの頃であります。
 初めて四合の米を持ってお礼参りに来られたのは、立教より二十数年経った頃であります。更に慶応二年、教祖六十九歳の時「あしきはらひたすけたまへ てんりわうのみこと」のつとめの歌と手振りが教えられ、貧に落ち切ると言う宗教的実践を台として、たすけのもとだてとなる「かぐらづとめ」が確立されていきます。
 この様に史実を通して「成る程と思う日」を思案させて頂きますと、神様の仰せになられる「成る程と思う日」とは、人間が形の上で十分満ち足りた生活をする日が来る事ではなく、神様の望まれる陽気ぐらし世界の実現に向かってのたすけ一条の道は「節から芽が出る」ひながたをお示し下されています。
 身上、事情は親神様の意見であり、節を通して「心の成人」を求められていると思うのであります。
 真柱様は年頭のご挨拶の中で「災害を起こしていただかずに済むような、思召に沿ったお互いの日々の通り方を心がける、そして、私たちがそうするだけでなく、親神様の思召に沿った日々の暮らし方ができる人が一人でも多くなるように、教えを伝え広めるにをいがけ・おたすけの活動をしっかり進めなければならない…」(みちのとも二月号より抜粋)と強くお示し下されています。

このはなしなんとをもふてきいている 
てんび火のあめうみわつなみや (六-116)

かみなりもぢしんをふかぜ水つきも 
これわ月日のざねんりいふく  (八-58)

 このように天災を通しての神の「ざねんりいふく」と言われる大節をお道を通るものとして、どのように思案させて頂いたらよいのか。それは「節から芽が出る」ひながたとしてお示し下されていますように、お道に引き寄せられた一人ひとりが今回の東日本の大地震と言う大節を通して、その胸に秘めた「たすけ心」を素直に呼び覚まし、『つとめ』と『さづけ』の実動をもって、たすけ一条の精神を定める事を求められているのではないかと思うのであります。「たすけ心」は誠であります。
 形ではなく夫々が「心の成人」を意識して神の思いを求めて通る事こそが、神様の仰せられる「成る程と思う日」であり「陽気ぐらしの世界」へ近づかせて頂けるように思うのであります。
「成る程と言うは天の理」「成る程と言うは道の理」ともおさしづ頂いています。
 立教百七十七年六月二十九日の大教会創立百二十周年記念祭、更には教祖百三十年祭に向けて親神様・教祖にお働き頂ける様、「をや」の声を信じ、親心にもたれ切って『つとめ』と『さづけ』に全力でつとめさせて頂きましょう。



●大教会創立120周年に向けて (9)

布教部では三年後に迎える創立120周年に向けて、毎月記事を掲載いたします。感謝の心と信仰の喜びを培い、報恩へと繋げていくことの一助となれたら幸いです。日々のにをいがけ・おたすけ活動へ精一杯、声援を送らせていただきます。


◎〜十全の守護と八つのほこり〜 布教部長永嶌洋三郎

 創立百二十周年活動方針に、「十全の守護と八つのほこりの説き分けを毎日拝読し心に治めましょう」が今年新たに加わりました。
 十全の守護と八つのほこりの説き分けがしっかり心に治まったならば、様々なおたすけの場において、その状況に相応しいお話の取次ぎが出来るのであります。
 昭和六十二年七月、私は鍋山善徳大教会長様から御命を頂き、三度目のブラジル巡教に出させて頂きました。現地では一年前に修養科を修了したばかりのレニューダさん、日系二世の大佐古信人さん、そしてブラジル永住が決まっていた中原恭亮青年(現西海ブラジル教会会長)が迎えてくれました。いずれも信仰に燃えるこの面々、気が付けばおたすけに回っていました。
 ある日パウメイラという町でレニューダさんがにをいがけした胃癌の患者さんを訪ねました。私が病室のベッドでその男性におさづけをさせて頂いている時でした。ちょうど院長さんが回診のために入って来られ、私の姿を見て「このジャポネス(日本人)は何をやっているのか?」と尋ねました。「この人は日本の宗教家で、今されているのはおさづけといって、神様の効能をお見せ頂くために取次いでいるのです」とレニューダさん。その院長さんは上背も体重も私の倍はある大男で、その上体を精一杯かがめ、私の顔に視線を持ってくると「オブリガード(ありがとう)」を連発。笑顔と共に、私の手を握って離さないのでした。
 そして何か言いました。「永嶌先生、院長さんが自分にもおさづけを取次いで欲しいと言っています」とレニューダさんの通訳。突然の申し出に驚きましたが、すぐさま「どこにさせて頂きましょうか?」とお尋ねすると、今度は大佐古さんが「胃の調子が悪いそうです」と橋渡し。さっそくシャツまで脱いでもらい、太くて白いお腹に声高らかにおさづけをさせて頂きました。
 「病の元は心から」私が発した一言は、大佐古さんを介して院長の心に届いたのでしょうか、「私の心遣いのどこがいけないのか」と返って来ました。私はまず八つのほこりについてお話させて頂き、次に胃病から「飲み食い出入り」を思案し、「こうまん」と「我が身可愛い」のほこりの心遣いについてお話しさせて頂きました。「囲いの中にあって身の案じという」お金を持つ人はお金を守るために、権力者は自分の立場や地位を守るために、攻め難き城を築き、更に頑丈な城壁で幾重にも城を守ろうとします。守れば守るほど身の案じが募る。「我が身可愛いの心遣いが病のもとではないでしょうか」と、大佐古さんに伝えてもらうと、どうやら思い当たることがあったようで、すっきり心に治まった様でした。十全の守護と八つのほこりの説き分け、どこでも誰にでも、おたすけの中で必要だと実感しました。
 十全の守護と八つのほこりの説き分けを毎日拝読して心に治める中に、おたすけにも磨きがかかるのだと思います。
 親の負託にお応え出来るようぼくへ成人させて頂きましょう。


●青年会 フットサルをやったよ!!


2月12日(日)、千鳥ヶ池公園にて青年会親善フットサルを開催しました。参加者18名、内2名はグランドの隅で遊んでいた地元高校生を捕まえて(にをいがけ!?)楽しい一時を過ごしました。
毎年5月には、おぢばでフットサル大会が開催されておりますので、西海分会も参加を目指して活動して参ります。
ミニサッカーともいえるフットサルは、老若男女に愛され気軽に楽しめるスポーツです!そんなフットサルを通してたくさんの方と信仰の和を広げて参りたいと思っております。
次回も大勢の参加を心待ちに致しております。どうぞよろしくお願い致します。


●少年会 福岡教区鼓笛フェスタ


 2月5日(日)、ピーポート甘木で開催された福岡教区鼓笛フェスタにさいかい鼓笛隊、蒲池鼓笛隊が出場しました。緊張しながらも笑顔で演奏を披露することができ、両隊共に金賞を受賞しました。
 ひのきしんや応援に来てくださった方々本当にありがとうございました。



●山内敦史noブラジルプルルン滞在記(3)

 これは6月3日から12月9日まで半年間、日本の裏側ブラジルにある西海ブラジル教会にお世話になりながら色々な体験をした西海青年(山内敦史:志原分教会)の渾身の滞在記である…


《前号より続く》

数分後蓋を開け、取っ手の壊れたフライパンで固まったであろう豆乳をすくい上げたその時である。牛乳プリンのような物が出てくると思いきや…見ただけでも分かる。さっきの豆乳そのままじゃん。いわゆる失敗。フライパンの上にはプルルンとした牛乳プリンのような豆腐がのってるはずだった。なぜだ。中原会長さんと同じように「にがり」は確かに適量投入した。なぜだ?
 豆乳を固めるための試行錯誤が始まった。原因はかき混ぜ方だと勝手に思い込み、かき混ぜる回数を増やし、ちょっと強めに混ぜてみた。今度は混ぜ過ぎて見た目がそぼろのようになってしまった。このまま形にしてしまうと、プルルンとした豆腐とはかけ離れたぼそぼそとした水気のない硬い豆腐が完成してしまう。 失敗作をこっそり食べようとしたその時である。「アジューダ!!」後ろから怒鳴り声が響き渡った。パッと振り返ると、中原会長さんが鬼のように仁王立ち。やべぇ〜しばかれる!と思ったが、最上階に寝ているはずの子供達がバタバタと飛んで降りてきた。どうやら怒りの原因は子供達。「アジューダ」=「手伝え」のようだ。すかさず子供達は持ち場に着いたが、重苦しい空気。早朝から怖いっ!! 失敗を告げたらこんな風に怒られるのかと、ビビリながら中原会長さんに報告。
 すると「まぁ簡単に出来ちゃったら、みんなやりだして売れなくなるよ。手に職をつけるっちゃこの事だ、ワッハッハ!」と笑いながら「豆乳が上手く固まる温度は80℃。絞り出す作業がゆっくりだと豆乳が冷めてしまうからね」と、職人らしいお話に脱帽した。「さすが親方!」と、思ったその矢先「まあ、いいや。早く完成させて売っちゃお〜 手作りだからきっと大目に見てもらえるよ」と、親方から職人らしからぬ一言。
ええっ〜売っちゃうのコレ?

《次号に続く》



●『余談ですけど…』其の六拾六


▼この冬は豪雪だ。北国は文字通り雪国と化している。雪が少ない地域でも今冬は寒い気がする。こんな寒い夜は鍋物に限る。好みは「ちゃんこ鍋」つけダレ不要がいい。今月二日の晩。大教会でちゃんこ鍋を頂いた。これが頗る美味だった。満足と幸福を一度に味わった。ありがたい、ありがたい。食堂では十四人ほどの方々でワイワイと。役員先生方、住込みの面々で実に和気藹々。一番端に座りざっと眺めていると、そこには親子が一組いるだけで、残りの全ては「赤の他人」同士だった。ま、縁戚関係の方たちもおられたが、基本的に血縁は無し。「あぁ、こういうのが陽気ぐらしのモデルなのかな…」と思った
▼ニュースから
 ◎昨年十一月、東京新宿で古アパートが全焼し、四人が死亡。その四人全員が生活保護を受給し、全員の身許判明は二週間後だった。遺体損傷が酷かった為に縁者との連絡が遅れたそうだ
 ◎年始、札幌で四十代の姉妹が人知れずひっそりと亡くなっているのが発見された。妹は知的障害を抱え、姉も脳に持病。十二月中頃、その姉が脳内血腫で急死。やがて妹も凍死。残された携帯電話の発信記録は「111」。動かなくなった姉の傍らで妹がかけようとしたのは「110」か「119」か
▼いずれも「陽気ぐらし」からは対極にあると思えてならない。そして、これらの報道を見て私たちは何を為すべきなのか。ある青年布教師にこの問いをぶつけてみた。「今まで以上に一軒でも多くの戸別訪問。これ以外にありません」とズバリと返答した彼。そうだな、それしかないよな。私たちは社会福祉の仕組みをあれこれと模索するのが仕事じゃない。教祖が私たちのお尻を叩いている。「ほら、出かけなさい」「あなたの来訪を待っている人がいるよ」と。お尻を叩かれたらすぐに気づこう。そう、大教会で美味しい鍋を頂き、身も心もホカホカになって、そのホカホカを誰かに届けに行こう。