西海通信 立教178年3月号



●活動方針の実行〜実のようぼくに 育ち育てる努力を〜

婦人会西海支部委員 水上なつえ


 婦人会西海支部は、婦人会長様のお傍でおつとめ下さる支部長様の御丹精のもと、昨年八月から十一月にかけておぢばにて開催された委員部長講習会に全委員部から受講するなど、道の台としての年祭活動に一丸となってつとめ励んで参りました。然るにこの年祭活動仕上げの年、婦人会本部は 『天理教婦人会成人目標』  ひながたをたどり 陽気ぐらしの台となりましょう 『活動方針』  全婦人会員は ご恩報じの道を邁進しよう  一、教えを実践して実のようぼくに育つ  一、身近な人を実のようぼくに育てる とお打ち出し下さいました。  このぢばの声を受けて西海支部に於きましては、一月に西海支部委員部長講習会を開催し、教会後継者夫人も交え、西海につながる全婦人会員一手一つに活動方針に沿いきり、実動することを誓い合いました。更には活動方針を徹底するため、この月より各委員部への巡回も実施致しております。  御存知の通り、婦人会は「…一時女、婦人会として始め掛け。これ人間が始め掛けたのやない。神が始めさしたのや。(中略)婦人会というは何のためにするのや。義理でするやない。又人間の体裁でするやない。又世上に対してするやなし。婦人会というは、道始めて互いくの諭し合いの道治めてやれ。…」(明治三十一年三月二十五日 おさしづ)との「をや」のお言葉をもって創設されました。  そこでこの機会に改めて婦人会の歩みを紐解かせて頂きますと、日々の暮らしの中で、どんな些細なことでも「教祖ならどうなさるか」と思案し、ひながたを基に物事を考え、お互いが諭し合い談じ合い、自らが育ちながら道の台として産み育ての徳分を活かしていく日々を百五年に亘って積み重ねて下さっていることに気付きました。  今この旬、真柱様は、全ようぼくに対して、今より一歩前に踏み出し、身近な人に声をかけ、実のようぼくに育て導くことをお促し下さっています。陽気ぐらしの台を任ぜられている私たち婦人会員は、この親の切なる御声にお応えし、教えの実践を通して全教の奮起と実動の土台を築かねばなりません。  大教会の元旦祭において、大教会長様は「今年は数にこだわりたい。」と年祭活動仕上げの年にかける思いをお聞かせ頂きました。  来月四月十八日、ご存命の教祖は二百十七回目のお誕生日を迎えられます。その翌日には婦人会第九十七回総会が開催されます。今年は教祖誕生祭が土曜、総会が日曜という、西海の心定めである「二万人おぢばがえり」達成のための絶好のチャンスをお与え頂いております。  あふれるご守護を下さる親神様。今も世界たすけの先頭に立ってお働き下さいます教祖。その大恩にお応えさせて頂くためにも、このまたとない好機に、西海につながる全婦人会員で、互いに声をかけ合い、誘い合って一人でも多くの方をお連れしておぢばに帰り、総会へ参加し、共々に親の息をかけて頂きましょう。  一人の力は頼りないもの。ぢば一条に心を揃え、親の理を頂戴しなければ、世界たすけの歩みは進められません。支部長様を芯に、女性の徳分を活かし、低く優しい心で周囲にお道を通る感動、喜びを伝え映し、実のようぼくに育ち育てる努力を重ねて、悔いなく年祭のその日を迎えられますよう、御恩報じの道を邁進致しましょう。



●斯道会別席団参 立教178年 5/31(日)11/29(日)


「斯道会」とは…

 河原町大教会初代会長・深谷源次郎先生が明治十六年秋に結成し、自ら講元となられた講社のことです。当初は別の講で入信された深谷先生ですが、様々な事情から斯道会を結成されました。翌明治十七年三月、教祖から次のようにおさしづを頂きました。「斯道会の種は、さあさあ今日よりさあく埋んだ。さあくこれからどれだけ大きなるとも分からん。」と、このように末広がりの未来を予言されるようなおさしづを頂いた斯道会は、次々と部内講社を結成し、明治末年までにその数は五千を超えました。教会としては明治二十二年二月十八日に「河原町分教会」設立のお許しを頂かれています。
 現在、河原町から分かれた本部直属教会は次の三十六ケ所です。
湖東・筑紫・朝倉・西海・鎭西・名古屋・北洋、甲賀・日光・都賀・那美岐・中根・蒲生・日野・秩父・岐美・中野・東濃、水口・嶽東・沼津網走・佐野原・秦野・小南部、越乃國・本島・鹿島・京城・東中央、西陣、山國、大垣、亀岡、大原。崇文。  教会数の合計は河原町を入れて実に三六七九ケ所の教会で、全教の約二十二%に達します。
 教祖伝逸話篇に次のお話が収録されています。いずれも斯道会についての内容です。
 一四一「ふしから芽が切る」
 一四二「狭いのが楽しみ」
 一四三「子供可愛い」
 今回、教祖百三十年祭を迎えるにあたり、斯道会という同じ親元でお育て頂いた者同士が一堂に会し、いわば兄弟の中の兄弟たちで別席場を一杯にしようではありませんか。

 ※教会数は平成二十六年末現在



●学生生徒修養会〜大学の部〜

 3月3日(火)〜9日(月)にかけて、学生生徒修養会大学の部が開催されました。西海からは8名もの学生に受講して頂き、それぞれに充実した時間を過ごし、大きく成長して帰って参りました。西海部内の皆様方には、動員の上にご尽力下さり誠にありがとうございました。
 ここに参加者の一部の感想文を掲載致します。


受講生

安永 義裕 (津屋崎町)
濱地 勇人 (茶山)
重松 初代香(後藤寺)
今泉 雅樹 (西日本)
河上 弘樹 (本山町)
熊木 史彦 (香)
養父 眞子 (玉竜)
竹下 莉香子(志原)


・M地勇人(初受講)
 学修のことは、両親や教会の会長さんからよく聞かされていたのですが、いざとなると、知り合いの一人もいない団体の中に一週間も放り込まれることを考えてとても不安に思ったことを覚えています。
 初日は誰一人知らない広間で待機してる時はかなり寂しかったのですが、班のメンバーと合流してからは、そんな思いはどこかへ消えてしまい、楽しい日々を過ごす事ができました。
 中でも路傍公演と神名流しは良い経験でした。大勢の人が行き交う中で、布教活動をしたのは今回が人生で初めてで、とても緊張しましたが、精一杯させていただきました。大阪の大きな交差点の一角で布教活動を行う恥ずかしさもあり大変でしたが、終わった後は大きな達成感を得る事ができました。他にも、講師の先生の講話や、班の仲間達と天理教に対する意見を共有したりなど貴重な経験ができました。


・竹下莉香子(初受講)
 初めての参加で、不安もありました。しかし、仲間達とのグループワークを通して、互いのお道への考え方を発表し合ったり、にをいがけの準備や実動によって自分自身の信仰やお道への思いを再確認することができました。
 特ににをいがけが印象的でした。私はにをいがけのリーフレットはなかなか受け取って貰えないと予想していたので、「やりたくないなあ」と思っていましたが、班員の一人が「リーフレットを受け取らなかった人は助かっていて、今は天理教の考えを必要としていない人だから良かったあ!って喜ばせてもらうといいよ!」と言ってくれて、私は心がすっと軽くなり、リーフレット配りへのやる気も湧いてきました。実際リーフレットはなかなか受け取ってもらえませんでした。でもその仲間の言葉があったから最後まで、どんな時も「ありがたい」「良かった」という気持ちでにをいがけができました。
 本当に本当に楽しい一週間をおぢばで過ごせて本当に幸せだと心から思っています。また来年も参加したいと思います。


・川上弘樹(初受講)
 学修は高校の部に参加しましたが大学の部としては初参加で不安もありました。  今回参加した理由は去年した迂闊な約束からです。それは大三郎さんに去年誘われ、そのときは忙しかったので断ったのですが、「じゃあ来年は行こうな、約束な」と言われ、二つ返事でオッケー出しました。そして学修の十日ほど前に電話が来て、その約束を出され「なんで覚えてんだこの人」と思いつつも約束なので行く事に決めました。嫌々半分なのですが、春休み中のダラけた毎日で時間を潰すよりは有意義かというポジティブな考えも半分ありました。
 班のメンバーにも恵まれて、非常に充実した一週間を過ごせた!と胸を張って言えます。 六日目に、にをいがけをしました、。神名流しは経験済みでしたが、路傍公演とリーフレット配りは初体験でした。
 学修は面倒くさいし、ダルいです。でも何故かとても楽しいです。


・今泉雅樹(二回目)
 二回目の受講になりますが、やはり始まるときは不安もありました。でもグループワークを通して班の一人ひとりのことをよく知り、仲を深めることができて嬉しかったです。
 にをいがけでは、今の自分の正直な気持ちや信仰の喜びを原稿にまとめる中に、改めて自分の信仰を顧みることができました。
 路傍公演当日は、今までにないくらいの大きな声で伝えることができました。戸別訪問も仲間と協力して一軒一軒周り、勇気を出して声をかけました。このようににをいがけに出る機会も滅多になかったのでで、よい経験をしました。


・養父眞子(初受講)
 初めは本当に行きたくなかったけど、班の仲間たち、またカウンセラーさんと共に過ごす一週間は本当にありがたかったです。
 期間中は、たくさんのことを神様に見せて頂き、改めて自分自身を見直すきっかけができました。また班の仲間との意見交換の際には驚くような話や、尊敬できる話も聞かせて頂き、たくさんの刺激を受けました。
 また機会があったら参加したいです。


●『余談ですけど…』其の百弐


▼早朝、妻に叩き起こされて私の一日が始まる。「早起きは三文の得」とよく聞くが、なぜ三文得するのか…?いろいろな説があるがその一つに、『生類憐れみの令の影響が奈良の鹿にも及び、もし家の前に鹿の死骸があった場合、三文の罰金が課せられた。そこで町人たちは早起きをし、死骸があれば、起きていない隣家に移動させ罰金を逃れていた…』とある
▼お道では早起きではなく『朝起き』とお聞かせいただく。起されるのと起こすとでは大きく徳、不徳に分けられる。人の役に立つ為に早く起き、変わらぬ朝を迎えた事に感謝するのである
▼『徳』と『得』今自分はどっちの『とく』に心が向いているだろうか…
▼『徳』は、人の役に立つ事により積むことができ、相手も喜び、また自分も喜べる。逆に『得』となれば、自分だけは喜ぶことが出来ても、必ず『損』して悲しむ人が居るのではないだろうか
▼私の朝は人を悲しませていたようだ。起こされる側から起こす側に変われるだけで徳を積み、更にはもれなく妻と子の可愛らしい寝顔が見れるという特典が付いてくる
▼体が動きやすくなる春。教祖御年祭に向け、眠い目をこすりながらでも、猪突猛進にをいがけに歩く。しんどい朝でも寝顔を勇む糧にし、起き上がる。そんな日々を一日でも増やしたい。